巡回先のサイト(http://ter.ath.cx/yusei/)で、巡回先のサイト(http://sanjuan.g.hatena.ne.jp/mutronix/)の話題が出ていたので、ちょっと思いつきで書いてみた。
消費に淫することの是非、ほか、N個の質問
http://sanjuan.g.hatena.ne.jp/mutronix/20090731

まず全体的な話を。mutronixさんも書いてるけど、最初に上記記事を見たときにそれが「誰かに対して何かを問うている」とは読み取れなかった。(ゆきやんの国語力が足りないこともあるけど)個々の質問の中には質問として何を答えればいいのかが分かりにくい、漠然としたものがある、気がする。なので、以下には「好きな色は何色ですか?→ハンバーグ!」といった答えもあるかもしれないけどそこは突っ込み無用です。

■・・・引用元の質問
□・・・そこから波及して出てきた自分の考え

■新作追っかけの是非

もともとは「>新作(つか、買ったゲーム)をとっかえひっかえ遊んでおもろいか?」ということ。
一応文字通り読むと、対極の質問は「同じゲームを遊びつづけておもしろいか?」となる。「同じゲームを遊びつづける」で思いつくのが、囲碁・将棋。あとマージャンとか。で、マージャンは置いといて、囲碁やってる人に面と向かって「囲碁ばっかりやってて楽しいですか?将棋も楽しそうですよ?」なんて聞くのは、それはもう大きなお世話である。ただ実際に聞いたときに、聞かれた方は明確な答えが出せないことが多いだろうけど。
で、原題。本質的には囲碁ばっかりやってる人に「囲碁ばっかりやってて楽しいですか?」と聞くのと同じことだと思う。つまり、大きなお世話。是も非もない。ただ、こんなありきたりな答えでは個人的に面白くも何ともないので、視点を変えてみる。

□実際に「新作(つか、買ったゲーム)をとっかえひっかえ遊んでおもろいですか?」とゆきやんが聞かれたらどう答えるか

いきなりもともとの質問から脱線していてマナー違反のような気もするけど、mutronixさんの言葉を借りればPC画面がいきなり口を開いて「それはマナー違反だろうが」と言ってくるわけではないので気にせず続ける。
去年の今ごろくらいから、私はボドゲをとっかえひっかえ遊んでいる。もともとはゲーム仲間のBさんがボドゲコレクターで、遊んでないボドゲがいっぱい家に眠ってるということなので、それに便乗して「いろいろなボドゲを遊ぶ会」みたいなのを立ち上げた。それからというもの、文字通りとっかえひっかえいろいろなゲームを遊んでいる。で、それが楽しいかと聞かれたら、「あんたそりゃ楽しくなかったらやってませんがな」というのが今の率直な答え。
私にとって、ボードゲームはしょせんゲームであり、ありきたりな言葉だけれどコミュニケーションツールに過ぎない。私の場合はたまたまゲーマーだったので、気の合う人達とゲームを通して楽しい時間を過ごせればそれでよくて、そのツールが今はボードゲームであるというだけのこと。もしどこかで違う人生をたどっていたら、コミュニケーションツールがボドゲじゃなくてカラオケだったり草野球だったり居酒屋だったりしたのかもしれないし、実際にそれらを楽しんでいる人たちもいるわけで。

□新しい映画をとっかえひっかえ見ておもしろいですか?

突き詰めると同じようなことの気がする。結局この問題の本質は、「新しい○○をとっかえひっかえ消費して大変じゃないですか?」というところなのかもしれない。私の場合は実際にボードゲームを購入してそれを消費しているわけではないので、またちょっと違った見方になってるかもしれないけど。

■ネットに攻略情報を書くことの是非

・・・。まあ、もう半年以上前のことだし、口を開いてもいいか。
最初に言っておくと、ドミニオンのあれは書いた本人は攻略情報を書いたという意識はない。ただ、このゲームのこれはルールのバグじゃないですか?という質問というか意見を書いただけである。「それが攻略情報じゃろうが」と言われればそれまでだけど。
実際私の書いた「攻略情報」はまったく攻略ではなかったわけで、でも一応それなりに私の一人相撲を見て「役に立った」という意見もあり、後悔みたいなものはまったくない。ただちょっと恥ずかしかっただけ。
話がそれたので元に戻すと、ネットに攻略情報を書くことは、これも是も非もない話であると思う。が、これまた是も非もないとか言っちゃうと元も子もないので、もう少しだけ。

□ネットに何かを書くことの(倫理的な)是非

法的には、憲法が表現の自由を保障しているので、他者の権利を侵害しない限り非であるはずがない。それでも、この手のいわゆるネタバレを書くことを躊躇する人が多いのは、書き手側の倫理観の問題もあると思う。
でも、実際はネタバレが他者の権利を侵害しないと言い切れるわけでもない…気もする。この辺は、ネットの世界で(法整備を含めて)どこまで議論が進んでいるのかよく知らない。
私がネットに何かを書くときは、自分の中でいろいろな自主規制をかけるようにしている(つまり極力ネタバレは書かない)。でも、逆に私がネット上でネタバレを見てしまったときは、それを書いた人に対してどうこう思うことはない。たとえそれで自分が被害を受けたとしても(ネタバレを見てしまったことを被害と呼ぶとしたら、だが)。
何かを書いてそれが何らかの形で波及して、収集をつける必要が出てきたときに、それをするだけのエネルギーがあるなら、どんなことだって書いてもいいというのが個人的な意見。そのエネルギーがないから、私は自主規制をかける。

■ネットに否定的な見解を書くことの是非

基本的にはひとつ上の質問に対する答えと同じ。
私もブログに否定的な見解を書くことがある。それに対して、さらに否定的な意見をもらうこともある。どちらの行為も、是も非もない。法的には是だろうし、個人的にはいろいろな考え方があるだろう。

■ブログの利用、プレイログを何だと思っているか

一番はメモ帳。この時期にこのゲームをやったのか、といったことを思い返せるいい手段。ブログを自己表現の場とはあまり思っていない。というか、自分のブログに関してはそんなに不特定多数が見てはいないだろう、ぐらいに考えている。だからといってなんでも書いていいというわけではなくて、それは上記のとおり万が一のときの消費エネルギーも考えて、自主規制を入れている。この辺りのバランスがちょうどいいので、チラシの裏ではなくてWeb上のブログを利用しているのかもしれない。

■ボドゲは文化だと思っているか。思っているときの「文化」の定義

自分の中では文化、日本社会においてはそうでもない。文化の定義を辞書にある通りに解釈するとこんな答えになる。

□ボドゲの社会的認知

で、ちょっと寄り道。日本の社会において、さすがにボードゲームが一般的に認知されているとはいいがたいだろう。私は仲間内で集まってボードゲームをするときに、よく公共の施設を利用している。で、施設利用を初めて申請する際、施設の「利用目的」という欄について多少施設管理者との会話(というと穏やかだが、一方的にこちら側がボードゲームについて延々と説く作業)が待っている。
普通は利用目的の欄には「ボードゲームを用いたレクリエーション」といった具合に書く。まあ、レクリエーションはいい。誰でも知ってるし、公共施設の利用目的で上位にくるだろう健全な(?)利用目的だ。問題は「ボードゲーム」なのだ。初めて利用する公民館の館長さんは、まずこの「ボードゲーム」に突っ込んでくる。いや、館長さんにしてみれば、これは当たり前の確認作業なのだが、やはり一抹の寂しさみたいなのも時に感じることがある。
さらに脱線するが、TRPG関連の書籍を読むと、どうやらこの流れは過去TRPGプレイヤーが通った道のようだ。そして、これら先人の教えは、私が公共施設を借りる際にとても役に立っている。
それでも、我々にはTRPGにはなかった新たな壁として、「ボードゲームとはなんぞや」という説明が待っている。TRPGは、演劇の練習(ある意味正しい)とか、中世ヨーロッパの歴史研究(これもある意味正しい)とかいった名目で、昔は場所を借りることもあったそうだ。しかし、ボードゲームはそうはいかない。まず、コンポーネントを広げる。お金のようなものを使うゲームもある。時にはサイコロだってふっちゃう。これはもう見るからに怪しい。
当たり前のことだが、私は、ボードゲームについて施設の関係者にできるだけ丁寧に説明する。それは、最低限の利用のマナーであり、さらには全国で同じくゲームを楽しんでいる人たちへのマナーでもある。「ボードゲーム」という名目で場所を借りる連中は怪しい、ということになって、私たちだけが施設を利用できなくなるだけならまだしも、他の人に迷惑をかけるわけにはいかないからだ。これもまあ、社会の常識なのだが。

□ボードゲームをどう説明するか

これがもし「将棋愛好会」とかなら、話はもっと簡単だろう。上記のようなわずらわしさ(というと語弊があるかも)もなかろう。
私の場合は、「ボードゲームっていうのは、何をするのかい?」と聞かれて、まずは「人生ゲームのようなものです」と答える。次に、「ヨーロッパやアメリカのゲームを主に遊びます」と付け加える。が、最近は後者の「ヨーロッパや〜」というくだりが、さらに怪しさを増大させているような気がしてきた。そうなると最初の「人生ゲーム」からして何か他の説明方法があればいのだが、まだよく分からない。
このやりとりが続く限り、ボードゲームはまだ市民権を得ていないという結論になる。

■ボドゲが流行したほうがいいと思っているのか、思っているならどういう未来が理想か、誰が何をすればその未来に近づくのか(この質問の答えが、多分一番「好きな色は何?→ハンバーグ!」になってる、かな?

そりゃあ自分が遊んでいるゲームが流行してくれた方がいいとは思う。場所を借りるときもスムーズにいくだろう。理想は公共施設を借りるときに、利用目的に「ボードゲーム」と書いて、「ああ、ボードゲームですね」とすんなり場所を貸して貰えることだろうか。
誰が何をすればその未来に近づくのかは、はっきりしている。今そうやって遊んでいる人たちが、何のトラブルもなく、爽やかに遊びつづけることだ。
よく借りる施設のひとつに、Kという公共施設がある。ここは、TRPG、TCGプレイヤーがよく利用するのだが、施設管理の方たちがゲーム一般をとてもよく理解してくださっている。これは間違いなく、これまで、そして今現在この場所でゲームを遊んでる人たちが作り上げた信頼だ。ゲームそのものを分かってもらうことより先に、まず今ゲームをしている我々を分かってもらう、そのことがゲームが市民権を得る第一歩だと思う。

■日本のメーカは頑張るべきか

「日本のメーカーが頑張る→日本にボドゲが広まる」だったらいいのに。何かが広まるにはそれなりの下地やら歴史やらがあるので、簡単にはいかないかもしれない。でも、一応TCGが(子どもを中心にひとつのゲームとして)市民権を得たという前例もあるので、日本のメーカーには頑張ってほしい。とまあ、これに関してはひと事の感想でしかないのだが。

■未プr…もとい、Web上での情報交換のあるべき姿

これのもとネタは、未プレイのため未評価・・・かな?
私はボドゲに限らずWeb上での評価はある程度は参考にするがあまり参考にしない(どっちだ)。自分に似た趣味、思考の人の評価はあてにできる、っていうのもなんとなく怪しいと思っている。
そもそも、それら(つまりあるモノに対する各人の評価や情報)って、何の意味を持つのだろう。取捨選択のときの時間の節約が大切で、より濃厚な時間のみを過ごしたいから必要というのでは、そもそも趣味ってなんなの?という話に立ち返ってしまう気がする。完全合理主義に基づくなら、趣味なんていらない。
でもそれは極論で、やっぱり無駄な時間は省きたい。だから、よりよい評価サイトなりを探して情報を集めてしまう。はい、元に戻った。

□Web(ネット)の利用方法

20年前と今とでは、ネットの活用方法は明らかに違う。10年前と比べてもかなり違うだろう。ということは、10年経ったらまた変わってくるものだと思う。上にも書いたけど、ネット利用についての現段階での議論はよく知らない。でも、日々変わってきていると思う。「いや、ネットっていうのは今こうなってます。こうです。」っていう意見もあるが、私はそういった決め付けたものには拒否反応を起こしてしまう。それは、自分が古い人間だからかもしれない。

■自分の趣味の本質はなんだと思っているか

大切なのは他者とのコミュニケーションであり、そしていろいろな経験だと思っている。私にとってはMTGもボードゲームも、その補助をしているに過ぎない。もし他にもっといいツールがあれば、そちらを向いてしまうだろう。たまたま今は、MTGやボードゲームが、おもしろくて、さらにはいろいろな経験をさせてもらえるツールであるというだけである。
MTGでは、大会でチェコのプレイヤーと対戦することができた。今でも鮮明に覚えている。こちらはサイカトグを使っているのに、消えないこだまを打たれた(知らない人置き去り)。
これはほんの一例で。ゲームを通じて楽しい時間が過ごせて、いい経験ができる。それでいいと思う。

以上。
何度も言いますが、自分用に自分の思考をまとめただけなので、「好きな色は(ry」ですがスルーしましょう。

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